不定期に更新してしまう sea_is_back のブログです
僕は自分の好きなものに対してすごく楽観的というか、向き合い方が軽いのかなと思うことがある。
それが良いことか悪いことかは置いておいて、周りの人の好きものに対する向き合い方を見ていると自分が丸で気にしていない部分で自らと対峙していたりするのでよりそう感じる。
そんな自分でも今回はちょっと事情が違っていた。
僕はヒトリエというバンドのことが大好きだった。
きっかけは大好きなシノダさんが参加したからだった。
人の影響を受けて選び取って何かを好きになることが多いから、「自分が好きになった人が参加して存在を知って、自分で選び取って好きになったバンド」というのはそれだけですごく大切な存在だった。
その「好きな人が参加して知った」という経緯自体は同じ人は多いから、昔から「なんで歌わないんだ」とか「自分のバンドの方やれ」という意見は何度も目にしてきた。
僕はシノダさんの歌が大好きだけどだからこそ参加した当時からヒトリエで歌うのは違うと思っていたし、そりゃあシノダさんのバンドのライブも見たかったけど休むまもなくコンスタントに制作とライブを続けるヒトリエの活動を見ていると並行してやることは無理だし焦る必要はなくいつか気が向いた時にやってくれたらそれでいいと思っていた。
実際ここ数年でちらほらと弾き語りやバンドでのライブもあっていくつか見に行ったけどその一つ一つは本当に宝物みたいな思い出になった。
同時に「ヒトリエのギターコーラスとしてのシノダ」というポジション、存在に対する愛ももう自分の中ですごいものになっているんだなとも感じた。自分の中で「とんでもなく大好きな一人」はいつしか「とんでもなく大好きな4人組バンドのメンバーの一人」にもなっていた。
できることなら無限に歌う姿が見たいけど、あのとんでもない3人と共に演奏する姿もかけがえがないものだしなによりそれが今のメイン、軸であり、僕が鼻ほじってようが恒久的な活動として続いていくというのはとんでもなく嬉しいことだと思えるようになった。
でもwowakaさんが死んでしまってヒトリエの活動は一旦白紙になった。
思いもしなかった。そういう形での「終わり」もあるということ。
想像していた「ありえた楽しい未来」が沢山なくなった。「ここからだったのに」という悔しい思いもした。
それでも追悼会の開催が発表され、その日3人は3人でヒトリエをやった。
どこか「そういう風になる可能性もある」と思っていたとは言え、wowakaさんが作るあの曲達をシノダさんがバンドで歌う姿は想像できなかったのであまりにもしっかりと歌ったあのステージは衝撃的でとてもシンプルに格好良いと思った。
どこかで「wowakaさんがいなくてもある程度は演奏が形になってしまっていてそれが嫌だった」というような感想を目にしたけど、それは違うよあの3人だからできてるんだよ今までの尋常じゃない努力と更に埋めようがない一人を失ったからこその努力があわさったからこそあそこまでできたんだろと思った。あの場で「3人になってしまったからうまく演奏ができない姿」を見せられることのほうが僕は何倍も嫌だったと思う。
追悼会を経てツアーが発表された。後に発表された追加公演も含め全18本。演奏は3人で行いボーカルはシノダさんが務める。
複雑な感情は一切なかった。こうなってしまった以上止まってしまってもしょうがないと思っていたのに、この先どう続けるのかはわからなくてもこんなにもはやくまたヒトリエをやるという決断をしたのは本当に強い人たちだと思ったから。
勿論快く思わない人がいるのもわかる。便宜上「代わりのボーカル」を務めるわけでシノダさんが槍玉に上げられるのも納得は全くいかないが「好きなように言え俺はお前ら全員ここから消えても困らないし応援するから」と思っていた。
来る9月3日。25回目の誕生日、なぜか取れたチケット、初めての京都、ツアーの初日。
直前までなんの憂いもなく「楽しみだ」と思っていた。
当日になって、実感がわかなくてなんだかよくわからなくなった。
友達が「たくさんの人の前でちゃんとできるか心配 発表会見る親の気持ちみたいになってきた」と言うのを聞いて一気にバチンと気持ちが切り替わって「うわ そうや」と思ったらもっとわからなくなった。
僕はシノダさんがヒトリエで歌うことについて偏見塗れなのと同時に全く偏見がなかった。
なんというか、これまで彼が歌ってきたことを知っていて大好きだけどそれとこれとは別である、みたいな。
でもそんなことはなく好奇の目で見にくる人や、本当は歌わないで欲しいと思いつつも見にくる人。コーストの大舞台よりは規模が小さいとはいえ全く違った意味を持って立つステージと、それを見る全く違った意味を持つ400人超。「楽しみ」という気持ちはなくなっていた。
無限に「怒られが発生」する中、開場し、開演した。
始まってみれば一瞬だった。終わった後残ったのは尋常じゃないくらい汗でビショビショの身体と、確かに「楽しかった」という感情だった。
勿論ライブ中には楽しさ以外も沢山感じた。大好きなリトルクライベイビーはよりにもよってサビで「3人であることの足りなさ」をまざまざと見せられ辛かった。あんなにも希望に満ち満ちたはずの曲が痛かった。それでもなにか力になりたくてアウトロまでずっと握った拳を掲げていた。
いつものようにMCをするシノダさんとそれをきいて笑い声をあげる客席。でもその後方向修正するwowakaさんはいない。
いつも口をつくように「最高」と言うけどこの日は最高ではないと思った。4人のライブがもっと見たかった、最高は4人が更新するものだったはずだから。
でも格好良かったのは間違いなかった。もうこの3人以外では「ヒトリエ」はありえないだろう。
だから3人で更新して「最高」になる日を俺は見たい。
ロックバンドは「続くこと」が一番美しくて格好良いと思っていた。
でもそれは少し違っていて、例え止まることがあっても「今そこに在ること」が俺は一番格好良いと思うようになった。
NUMBER GIRLが17年もの間止まっていても復活したライブで多くの人が熱狂できたのは、あの日の続きをしようとするのではなく、ありのまま2019年の最新のNUMBER GIRLのライブをして「バンドとして今そこに存在」したからだと思う。
他人と思いが違っていても良い、違う意見だからってそれをぶつけあって高めあおうなんてしなくていい、互いに想いと言葉を重ねて「そうだよな」って違いを認めあいたい。今そんな風にヒトリエの話ができることは間違いなく幸せなはずだ。
そして癒えようのない傷を抱えても今ここに存在するヒトリエを俺は誰がなんて言おうと肯定する。
このツアーが終わった後の活動がどうなるのか俺は知らないしわからないけど、解散は嫌だとか3人で続けるのは嫌だとか「この先」を案じる必要はない。
どんな選択や結末が待っていても今この瞬間に「ヒトリエ」がいることを俺は嬉しく思う。
~前振り~
サブスクリプションサービスについてものすごい嫌悪感を示す人が居て、そういうのを見る度に「それは違うだろ」と思うけど誰しも偏見はあるというか、そういう偏見こそが人間というか個性だとも思うのであまり強く言えないのが本当のところです。
そもそも僕自身Apple MusicだとかSpotifyを使っているものの、やっぱりなんかいまいち聴いてる感みたいなのが薄くて、選択肢は多いに越したことはないけど、CDで、というか歌詞カードを読みながら聴くという経験はすごく尊いものだなって改めて思います。
今回感想を書く3作は奇しくもサブスクリプションサービスでの配信が(今のところ)ない作品です。
知識や語彙がない人が、ある人に喰らいついていくには熱量しかないと思っているので熱のある感じでがんばります。
~本題~
上半期1番聴いていて且つ今のところ下半期も1番聴いているのは
・遅くなる帰還(アルバム名) / さよならポエジー(バンド名)
です。
びっくりしたんですけど前作から2年も経ってたんですね。その前作「前線に告ぐ」から知って、去年初めてライブも見て、このアルバムでいよいよもう僕の中での"めちゃくちゃ好きなバンド"となった気がします。
さよならポエジーはなんと言っても曲が良くて、演奏が良くて、詩が良くて、歌が良くて、声が良いです。まあ全部ですね、あと他になにか要るんでしょうか。
特に言葉の選び方が本当に美しくて、しょうもない言い回しとか"敢えて"なダサいフレーズとかが一切ないんですよ。
なので聞き慣れない言い回しとか表現も多いんですけど、でもそこで歌われていることは自身や友人のことだったりとすごく身近なことで。そのギャップが、すごく矛盾しているんですが洗練されているのに無骨というかプリミティブな感じがして、要はめちゃくちゃ格好良いんですよね。
あまり音源の話をしてるときにライブがどうこういうのはおかしいとは思うんですけど彼らのライブはその歪な美しさをより強く感じるのですごく好きです。
一生モノのバンドの一生モノの愛聴盤です。
・SUPERSALT / 呂布カルマ
呂布カルマさんについても曲が良くて、詩が良くて、歌が良くて、声が良いって本当に思います。そういう意味ではさよならポエジーとも近いなって感じています。
帯には「超塩対応」って書いてあるんですけど、こんなに優しく抱きしめられるみたいなアルバムありますかね。
ひたすらヤバいドープな音に乗せられて歌われていることは、自分の核になっている様なことからくっだらないことまで様々ですけど、ラスト2曲が特にすさまじくて一貫して音も詩も表現はとてもクールなはずなんですがその2曲は暖かく柔らかな印象で、このアルバムを聴き終わった後の背筋が伸びる読後感みたいなものをグッと引き上げてるなって思いました。
前述の通りこのタイトルには超塩対応という意味が含まれていて、そもそも呂布さんが「神対応」という言葉が嫌いで、「街で見かけた芸能人に声かけて「写真撮って下さい!」って言ったら快く応じられて最後握手してありがとうございました、で神対応って神を低く見積もり過ぎだろ」という違和感から来ているとのことで、そういう部分での怒りとか考え方にすごく共感するし知れば知るほどめちゃめちゃ良い人だと感じるのでこれからグングンハマって行きそうです。
・GO 2 THE NEW WORLD / 2
前作からわずか半年、そもそも結成から1年経ったか経たないか程で2ndフルアルバムをリリースというスピード感も去ることながら
急ごしらえの突貫工事なんてことは一切なく、前作を経たからこそな一段ギアが切り替わったみたいなバンドの変化、成長が感じられる1枚だったと思います。
一聴して最初に思ったのは「え?もうこの感じなの?はやくない?」みたいなもので、正直まだもっと勢いで押し切るというか、バンドで音を出す喜びとかに満ちたハイなそれこそ"初期衝動"に溢れたものを欲してしまっていたのですが、
そもそも一曲目から「初期衝動の殻から抜け出して/破壊と再生を繰り返して/君の元へ辿り着くまでは/物語が続いてく!」と歌っている様に完全に次のモードへ行ったことを自覚していて、前作以上に自分やあなたを歌うことに全力で聴けば聴くほど好きになっていきました。
あと余談ですけど僕はThe SALOVERSのラストアルバムに入っている「セイタカアワダチソウ」という曲が大好きで、セイタカアワダチソウってまわりの植物の成長を遅らせる物質を出す特徴があってそれをサラバーズと重ねてると解釈していて、いつしか幼馴染4人が一緒にいる為のバンドが4人を縛りつけるものになっていたから彼らは活動休止を選んだと思っているんですよ。
で、2の今作で「FALL FALL FALL」って曲があって別れた(失った)人を歌った(想った)様な曲になってるんですけど「少し肌寒い、ブタクサ運ぶ風に/くすぐられ、くしゃみして、鼻を擦っては、/遠くで僕の噂をしてるんだな、/なんて馬鹿な期待をしながら帰っています。」って一節があって、ブタクサってすごくセイタカアワダチソウに似てる植物なんですよ。
だからこれサラバーズのこと歌ってんじゃないかなって思っていて、好きなんですよね・・・(オタク)
以上です、他にも素晴らしい作品は幾つも出ていたのですがイマイチ聴き込めてなくて半端な感想書くくらいならまたの機会にしようと思ったのでこの3作にとどめて置きます。
これももっと書けるやろ、みたいな出来になりましたけどとりあえず書き上げたものを出す、というのも大事にしていきたいので。。。
最後に私事ですが(まあずっと私事ですけど)来る9月3日が24回目の誕生日なので当日お祝いのリプライ等を戴ければ幸いです。
それに長文で返すというのがここ数年の楽しみです、何卒よろしくお願いします。
おわりだよー(o・∇・o)