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ex.BLUE

不定期に更新してしまう sea_is_back のブログです

あなたの感情が見たいからまずは自分の苦しみや喜びを見せますという話

ヒトリエというバンドとNOTOKという楽曲について

リリース発表への反応を見ながら、「はじめて4人のヒトリエの曲をリアルタイムで聞ける」「wowakaさん、おかえり」などと並ぶ言葉にどんなツラして感傷に浸ってそんなこと言ってんだと思った。
意地悪な言い方だけど、ヒトリエというバンドにとってwowakaが作詞作曲してwowakaが歌うことは普通だったから、彼の訃報を目にしてバンドの存在を初めて知ったような奴らが「5年待った」だの「これで本当に最後なんだ」だの言いながらこのNOTOKという楽曲を特別視するのは、ひどく滑稽に思えた。
特殊な制作環境から純粋な4人の楽曲ではないと言えるし、一聴してわかるがバンドにとって前例のないイレギュラーな曲である。
勿論大前提としてとてつもなく格好良い曲であるというのは紛れもない事実としてある。

多分この曲は3人になったヒトリエが、これからも続けていく為に避けては通れない道のようなものだと思った。
彼がこの世を去った5年でやってきた彼と共に作った曲を3人で演奏するために改めるものとは違う、明確に彼の"遺した"曲の一部を彼なしで完成させるという作業。想像を絶する様な苦しみがあったはずだ。
ヒトリエが3人でも続けることを選択した理由のひとつに「wowakaの作った曲を、まだまだもっと多くの人に聴いてもらいたい」というものがあって、それを掲げる以上、作りかけの楽曲も完成させ世に出す必要があったのだと思う。「清算」や「決別」とも違うが共に進むためのひとつのけじめの様なものじゃないかと感じた。

歌詞集で初めて詩を読んだ時、「いつ頃に書いたものなんだろう」と思った。
少女のモチーフはIKI以降の肉体性を増していくwowakaさんからはあまり出てこなくなった表現だったから結構昔のものなのかなと感じた。
野音で初めて聴いた時、なにを思ったんだっけ。
まさか完成させていて披露するなんて思っていなかったから、懐かしさすら感じる彼らしい癖のある曲に最新の3人の演奏があわさっておもしろくて変な曲だなって思った気がする。
改めてwowakaさんのボーカルでリリースされ音源で聴いて感じたのはまた違う印象だった。
wowakaであってwowakaじゃない、ヒトリエでしか有り得ない曲なのにヒトリエではない様な感覚。
それはwowakaと共に作った曲の断片をwowakaなしで完成させたことによる聴いたことのない手触りだったからじゃないかと今思った。
MVで姿が見えないまま聴こえてくる歌声と、無表情で掻き鳴らされる3人の演奏を見たら思ったよりも苦しかった。何度も目にした「wowakaさんは今もステージにいるよ!」みたいな言葉にはひとつも同意できないと改めて強く思った。ありありと不在を感じた。

僕が一番好きなバンドのボーカルが以前「バンドというものはとてもわかりづらいものだ」と大事なライブのMCで語っていた。
たまに思う。 wowakaさんが「wowaka」という名でソロアーティストとしてデビューしていたら、「伝説のボカロPがついに自身で歌う!」と喧伝されていたら、多分もっと多くの人に聞かれていて、ドラマやCMのタイアップが沢山ついて街中で流れまくってツアーもホールとかでやっていたんだろうと。
でもその時、広いステージに彼から少し離れた後ろ側に立ち演奏をサポートするメンバーがどんな物語をもってそこに立っていたとしても、僕はその人達の名前をあんまり知らなくて、もっというと、そうなっていたwowakaさんにはそんなに興味を持っていなかったのだろうなと。
バンドという表現ではないと駄目で、だからこそ集まったイガラシさんとゆーまおさん、そしてシノダさんでヒトリエとなって、4人だからこそ出来上がった曲達だから僕はヒトリエに魅了されたんだと、そんな他ならぬwowakaさんが選んだ3人だからwowakaさんがいなくなってしまっても魅了され続け聴き続けているんだと自信をもって言える。

なんの話がしたかったのかわからなくなったけど、特別じゃないけど特別な曲のリリースを経て、ヒトリエというバンドをこれからもずっと聴き続けていくと改めて思ったという話なのかもしれない。
あなたの話がききたいと思って書きました。
では、また。

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1994/09/03
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