皆さんは大好きなバンドを初めて聴いた日のことを憶えていますか?
僕は記憶力がゴミなのでThe SALOVERSというバンドを初めて聴いた日のことをちゃんと憶えていません。
憶えているのは僕と同じバンドの音楽が大好きな尊敬(?)している(勿論インターネット上の)人が当時ハマっているバンドをTwitterのbiographyに1バンドだけ書いて定期的に更新していて、それにある日「The SALOVERS」と書かれていたことと、それが気になって検索して出てきたのがChina(ジャケット画像が延々と表示されているタイプの映像に音源が垂れ流されてる典型的な違法アップロード動画)だったということだけです。
正にNUMBER GIRL直系といったサウンドにしゃがれた下手くそなだけどかっこいい歌声で「ありがとうチャイナ」と歌っていて、僕は「意味わかんねーけどかっこいいな」と思いました、意味わかんなかったのでそれ以上は深く追わなかったです、割りと憶えてんじゃねえか。
それから少し経って、ナタリーから会場限定シングルがリリースされるというニュースが流れて来て「ディタラトゥエンティ」という曲のMV(の45秒試聴動画)を見て、久し振りに彼らを聴きました。
ストレートに「かっこいい!!」と思いました。当時の僕はTSUTAYAで旧作CDを5枚借りるのがライフワークになっていて、2012年02月27日(ツイログって便利ですね)に「バンドを始めた頃」というアルバムをレンタルし、彼らの音楽をやっとちゃんと聴きました。
衝動的でヤケクソで女々しくて、だからこそ切なくて暖かくてかっこいいバンドだなって思いました。
それから少し経って、メジャーデビューが決定し、プレデビュー盤として「いざ、サラバーズ!」が発売され、メジャーデビュー1stフルアルバム「珍文完聞 -Chin Bung Kan Bung-」が発売された頃には僕は彼らの大ファンになっていました。
「そもそもThe SALOVERSってなんだよ」って人の為に説明をします。
The SALOVERS(ザ サラバーズ)は日本のロックバンドです、メンバーはボーカルギターでほぼ全ての作詞作曲を手掛ける中心人物である古舘佑太郎、そしてその古舘と4歳からの幼馴染であるドラムス藤川雄太、6歳からの幼馴染のギター藤井清也、そしてその輪に11歳から加わったベース小林亮平の4人。
2008年に結成され、翌2009年には10代のアーティスト限定のフェス閃光ライオットにも出演し審査員特別賞を受賞、2010年には中尾憲太郎氏のプロデュースでアルバム『C'mon Dresden』をリリースしデビューという華々しい経歴を持つバンドです。
ですが4人はそれぞれの経緯とそれぞれの音楽体験で尊敬するミュージシャンなども多数居て、ミュージシャンという職業は憧れのものだったのでしょうが、それ以上にこのThe SALOVERSというバンドは友達の4人が大人になっても一緒にいる為の手段という面が大きかったのではないかと思います。
2012年にはフルアルバム「珍文完聞 -Chin Bung Kan Bung-」でメジャーデビュー、順風満帆とも思われた活動は翌2013年から陰りを見せます。4月、7月、10月とコンスタントにシングルを発表しますが翌2014年にも1月にブッチャーズのコンピレーションへの参加と8月の配信限定シングルという単曲でのリリース2作のみでアルバムが発表されることはありませんでした。
そして2015年3月、実質的な解散である無期限活動休止という形でバンドは終わりを迎えます。
後に彼らはシングル3作をリリースした当時の事を「昔のサラバーズのコピーバンドをしているかの様な気分だった」と語っています。アルバム制作が難航しライブへのモチベーションも以前の様にはいかず、メジャーデビュー以降絵に描いたようなスランプ状態に陥っていたのです。
相互フォロワーの彼らをずっと追いかけていたとある女の子は、そんな彼らの変化や違和感をずっと感じながらそれでも追い続けていたことをnoteに書いていて(本当に本当に良い文章で続きを待っています)、当時何も気づけなかった僕はそれを見て何度も自分を恥じました。
しかしこの大スランプ中だった3作のシングル、僕は今聴いても本当に良いものだなと思うんです。
1stシングル「床には君のカーディガン」は、「青春の真っ只中に居てそれを濃縮還元したかの様な偽りのない詩」を書いていた頃から「締め切りや契約のある中で虚構も混ぜて"青春とは何か”を見つめ直し描かれた青春」といった試行錯誤と変化を感じるし、続く2ndのトリプルA面の中の1曲「HOT HOT HOT!」の「丸く丸くなりたくない トゲトゲしく生きていたい」のフレーズは正に大人になっていく自分を鼓舞するかの様にも聞こえ、3rd「文学のススメ」のド頭の「文学 文学 純文学」に至っては迷走の末の完全なるヤケクソの極みであり、困難を極める創作活動とは裏腹に着実にスキルアップしていったソリッドな演奏とあわさった時の何とも言えない高揚感は当時の自分がこれを聴いて「惚れ直した」なんてほざいていたことも納得できる(そりゃ俺だからだけど)作品だったと思います。
僕はこの自分たちからでた自然な色ではなく、どこからか持ってきた絵の具をブチ撒けることで無理矢理にでも色を出した様な3作を筆頭にしたカラフルなドギツいポップな2ndフルアルバムがでることを楽しみにしていましたがそれは前述の通り叶わぬ夢となりました。
色々話が前後しますがThe SALOVERSはメジャーレーベルとの年1枚のアルバム制作という契約を守れなかった為その活動に幕を下ろすこととなりましたが、その最後は何のリリースもライブもなく終えられるものとして進んでいました。
ある日の大阪のライブの後、デビュー後はマネージャーと共に移動していたという彼らは、そのマネージャーが他の担当バンドのライブでそのまま大阪に残ることになった為初めて4人で機材車に乗り東京へ帰ることになりました。
解散に向けての日々を消費していくかの様だった中で、その4人だけでの時間は久し振りに他愛のないバカ話をしたりして、何の気兼ねもないただの友達で、まるでバンドを始めた頃の様に楽しい時間だったと言います。
その時間に古舘佑太郎は今までのスランプがまるで嘘だったかの様にするすると曲をつくり、すぐさまサービスエリアに止まり解散前にアルバムを作りあげることを決め、それをメンバーに告げます。
そうして出来上がったラストアルバム「青春の象徴 恋のすべて」は、まるで夏の空の様に青く澄み渡っていて、純度120%のThe SALOVERSといった作品になっています。
幼馴染の友達が一緒に居るための口実の様に始まったバンドは軌道に乗り、トントン拍子にデビューし憧れのミュージシャンへ。早々にメジャーデビューしその勢いのまま快進撃を続けると思いきやメジャーという壁にぶつかり疲弊、その友達と一緒に居ることが何よりも苦痛となることが見え始め、決まった解散という結末。しかしその内見えた一筋の光に4人は「ただの友達に戻る」という新たな最後を見出した。
4人にとっては勿論、ファンにとってもThe SALOVERSというバンドは青春そのものであり、だからこそいつしか、成長することを止めてキラキラとした過去に縛り付けるものになりつつあったのだと思います。その中で、そこから抜け出して成長することを選んで、その青春を「一旦栞をはさんでいつでも読み返せる作品としてとじる」、という選択はこれ以上ない素晴らしい最期だったと思います。
「青春の向こう側で いつか待ち合わせをしよう」
4人がこの先いくつになってもそれぞれの舞台で輝いて、時には休みに顔を合わせバカな話をしたりする友達であり続ける事を願っています。
そしていつかまた4人で同じ舞台に立って輝く日が来れば、それ以上に嬉しいことはないです。